昭和51年4月20日 朝の御理解
中村良一
御理解 第30節
「神を信ずる者は多いが、神に信ぜられる者が少ない。」
昨日は、何時も、菊栄会の方達が、大祭の後に、信心の実習を二十日の日にやるんです。まぁ言うならば、信心実習という名の、私を慰労という事でございますけれども。やはり、信心実習は信心実習です。本当に神様の間違いなさというものを、まぁ一日の、こうした実習の中に、色々感じさせて頂きます。私は、昨日、日奈久という所があります、熊本の。日奈久温泉で有名なところ。あちらに、昨日は参りましたが。途中に、有名な窯元がありますから、二軒、窯元の、まぁ見物をさせて貰うて。それから日奈久教会に参りました。私が、初めての事でしたから。まぁびっくりされましたとこう思いますけれども。あの富永先生が、合楽を信じておられる。合楽の大坪を信じておられる。また、私が、富永先生を信じておる。信じ信じられるという事が、神様から、信じ信じられるという事と同時に、私は、御道の信者は、自分の親先生である、または、の信者であるという、その、信者から信じられる先生。または、信者を信ぜれれるほどしの、言うならば、信者が中心になっておる教会なら、必ず、生き生きとした御比礼が輝くと思うですね。
そういう意味で、何時も驚くぐらいですけれども。まぁ富久信会なんかの時に、見えます、あそこの中心になる信者さん方と言うても、まぁあれだけが、あちらの信者さんであるかも分かりません。十七八名ぐらい。まぁ言うならば、一騎当千と言った様な感じのご信者さんばっかりですけれども。もう、とにかく、富永先生を信じきっておる。また、富永先生も、信じておられる方達だと思うんです。だから、言うなら、ようやく、どのくらい、七年前ですか、開教式があったのが。長い間、布教所時代に、まぁ大変な難儀なところを。身体も、もう富永先生、日奈久の先生は、もう死なしゃったげな、死なしゃったげなと言う様な噂が、教会、あっちこっちに飛ぶほどに、身体の弱い。とにかく、身体全身に、あんなに大きな体格をして、健康そうにしておられるけれども、身体に、もう一杯、病気を持っておられる先生です。それが、おかげで、この頃は、健康の上にもおかげを頂かれて、まぁおられるわけですけれども。
私は、本当にあの、もう本当に小さい、ささやかな教会。けれども、本当に人が助かる教会といった様な感じでした。それ以前の、布教所という時代は、もっともっと、それは、実にひどい教会だったらしいですけれども。もちろん人も助からない、自分も助からない。それが、合楽にご神縁を頂かれた、まぁ発端になった訳ですけれども。おかげを頂かれて、今の教会に移られた。その頃から、毎日、五人、十人の中心者があると、当時は言われるくらいに、毎日、お参りが出来るようになり。その中に、言うなら、先生が信じられる様な信者さんが、だんだん出来られて、もう、このまま行くなら、本当に大変な御比礼が立つだろうと思うような状態を通られて、初めて、総代さん方が出来た。出来たところに、教会の認可を受けられることになった。だから、教会認可を受けられて七年と思うです。先生が、合楽を信じておられるというのは、そういう、合楽の、いわば、おかげで道が開けたという事を信じておられるようである。
昨日、菊栄会の方達が全員でしたから、あの、御神米でも、もう本当の合楽です。こういうことしよったら、まぁあの、日本で、ここと、日奈久だろうと思うです。これはあの、信じておる者の形だけでも、真似の上にでも、こういう風にしなければおられないものがあるのでしょうね。もう、普通の教会というのは、どこのでも、こんなふうな、ね。ちゃんとしてあるですね。自分ところの教会の名前が入っていて。それで、もう、あの神愛会の開教式の時の記念に出した、カレンダーがあります。そのカレンダーが、御結界の後ろにこう下げてある。お広前は、六畳と、襖を取って、控えの間が四畳かある。だから、全部開いて十畳。それに、ずーっと、お縁がついておるから、まぁ本当に狭い、ささやかな教会です。けれども、その合楽を信じられるという雰囲気が、もう教会全部にこう漂うておるというような感じです。やはり、信じ信じられる。そこに、おかげが受けられるという風に思います。
昨日、何時も二十日の実習でありますけれども。会員の方達の都合があってから、一日早く、初めて、十九日に行ったわけです。もう合楽では、もう二十日と決めたなら、必ず二十日、それが合楽の流儀なんです。ですけども、そういうとこがありましたから、神様にお願いをさせて頂きましたら、お榊を頂きました。だから、まぁお許し頂いたものと思うて、そんなら、十九日にしようかという事でありました。ほら、出掛けに言ったら、でがけに、またその事を、改めてお願いさせて頂きましたら、その時に頂いておったお榊に、シデがつくところを頂いた。朝とシデが、私が、玉串を上げる時と。また、そういう様な事からでも、あの、ただ、榊だけでは、まだ、お許しは頂いてなかったんです。それに、神様が、伴うて下さった時に、初めて、お許し頂いた。あ、これで始めてお許し頂いたんだなと思うて、安心して、いわば、やらせて頂いたんです。
あちらへやらせて頂いて、その、まぁ何とか、他の旅館をというとこだったそうですけれども。結局、まぁ一番、日奈久で大きい、繁盛しておる店と言われる、何とか、松なんとか、松の屋、松の屋と言う。そりゃ、やっぱ、松の屋がほんなごつじゃったろうと言うて、あの、そちらへ行かせて頂きましたんですけれども。何と、そこの紋が、私のこの紋にね。亀甲の、亀甲の中にこの、梅鉢があるというお家でした。そういう風にね、あの、頂いてまいります時に、いうならば、神様もね、信じて欲しい。氏子に信じられたいという働きが、必ずあるという事です。ね。神様も信じられたいという、その働きを見せて下さる。ですから、私共も、ほんなら、あの、神様に信じられると言う精進が必要だという事が分かります。ね。あのご信者は間違いがないと、例えば、教会長が信じる。または、信者が、うちの親先生は、絶対間違いがない。まぁ色々、人が何と言おうとも、ね。うちの親先生は間違いがないとこう、信じ、信じられるところに、本当の取次ぎという事も出来るし、また取次ぎを受けて、おかげを受ける、お徳を受けるという事も出来るのです。
富永先生の所が、人が助からない。しかも、そんなひどい布教所時代、難儀が続いた。しかも、年末の押し迫ったある日、大家さんが見えられて、今年、年末中に家を明け渡してくれと言われる。もうそれこそ、寝耳に水のような事でしたから、もう、とにかく、そんなに急に言われても出来ない。そんな事が、何回目かの、当時の椛目にお参りになった。そん時は夫婦で見えられた。もう、それこそ、聞くだけでも哀れなお話でしたが。神様に、その事をお取次ぎさせて頂いたら、この、雪の生態を頂いたですね。降る雪です。それを、顕微鏡でこう眺めますと、この幾何学模様というですかね。雪の一片一片が、素晴らしい、ちょうど、レース編みの様な事になっているんです。本当に冷たい雪だと思うておりますけれども、何と冷たい大家の仕打ちであろうかと思うのですけれども。その大家の冷たい仕打ちの中に、天地の親神様の、もう切なる、よりおかげを下さろうとする働きがある事を感じなければならない、知らなければなりません。大家が神様ですよと、ね。だから、神様のご都合ですよと。だから、冷たい、言うならば、家主と言うて、家主を恨む事は要らん。むしろ、その事をお礼を申し上げなかればという様な御理解を頂いて帰られた。それから、年末までに、もう何日もないある日、今の教会、今のお家が見つかった。たまたま参ってきたご信者が、そんなに困っておられるなら、私が探しましょうと、と言うて探して来てくれたのが、今の教会。本当にあの、こじんまりとしてますけれども、教会のために出来たような家であります。もう本当に、私は、ずーっと、あの温泉町の、大変賑やかなところから入って、そしてもう、実に静かなところで、それも、ほんな僅かな、ここの参道ぐらい。もうそげなところに、そげな温泉町の賑やかなところに、そげな静かなところが、大体、あるもんだろうかと、私は思うとったところが、本当に、やっぱ、そうでした。ちょうど、やっと自動車が通るくらいな、アスファルトの道が、ずっと、温泉町から入って、そして、ここの参道ぐらいな長さのところに、こう石段を上がって行って、その教会がある。ね。それはもう、年末の押し迫った時に、屋移りをされた。
元旦祭は、初めて、言うなら、教会らしい教会で、元旦祭を仕える事が出来たと言うて、まぁそれこそ、夫婦で感動感激のお礼のお参りがございました。ね。だから、私共がです。なにをし、神を信ずるかという事。おかげを受けて、はぁなるほど、神様は、実在ましますんだと信ずるのではなくて。勿論、そうですけれども、ね。それとは反対のこと。信心しよるのに、どうして、こういう冷たい仕打ちを受けなければ並んだろうかという様な事柄でも、その冷たい仕打ちの向こうに、神様の愛情が溢れるほどしの、厚い思いのある事を信ずるという事が、私は、神様を信ずることだと思う。ね。その難儀、難儀と言わずに、その難儀そのものが、神愛だと信じれる時に、私は、神様が信じれるという事が言えるのじゃないかと思うです。ね。その難儀と思うておったのを、有難いと受ける心が、神様を信じた人の、私は生き方だと思う。ね。それから、その当時、毎日、求心者が、五人十人、多い時には、お参りがあるようなおかげになってきた。ね。そら、数えるだけのご信者でしょうけれども、ね。今、日奈久の町の外れに、土地を買おうと、そして、あの教会を建てようという様な話までが出るほどのおかげを頂いておられます。ね。
それは、どういう事から、そういうような御比礼になってきたかと言うと、神様の、そうした働きを信じれるという事と、合楽の生き方が、本当だと信じられるところから、いわば、お取次ぎをなさる先生の信心が、言うなら、合楽一辺倒になったこと。そこに、合楽流の、言うならば、ささやかなおかげですけれども、もう何時でも、それを言っておられますが。もうとにかく、合楽の信心を信じて、あの合楽風のおかげを頂く、いわゆる、合楽流だと。これは合楽を信じ、ね。また、信じられる、そういう中が、合楽と日奈久の教会の上に交流するところに、そういうおかげが頂けてくるのです。ね。神を信じ信じられるとこう言うけれども、ね。神様に信じられるという事は、そのまま、御神徳と言われておりますが。先ずは、私は、ね。教会長を信じ、教会長の信心を信ずる信者。そして、教会長に信じられる信者氏子にならせて頂く。まぁあの人は当てにならんと、教会長が思う様な事じゃなく、まぁあの人に言うておきゃ間違いがないと言うようなです、ね。信じ信じられる仲を作っていかなければならないと思う。ね。
神を信ずると言うても、ね。神様の、はぁお願いをして新たかなおかげを頂いたと、そのおかげの所だけを信ずるのでは、神を信ずるとは言えない。神様の御働きそのものを、ね。白であろうが、赤であろうが、神様の御働きとして、それは、冷たい仕打ちを受けるような時であっても、その冷たい仕打ちそのものが、ね。それこそ、神様の微妙な、手の込んだ、それこそ、(?)の様な、一分一厘間違いのない神様の御働きであり、神愛であると悟り。それを信じれた時に、神様が信じられるという事になるのです。信心しよるばってん、こげなこつが起こったと。言うなら、困ったことが起こった。もう神様は信じない。そういう信心では、何時まで経っても、神様を信ずることは出来ませんん。神様の働きの中には、言うならば、甘い事もありゃ、苦い事もあるのです。ね。甘いことでも、苦いことでも、言うならば、神様の御働きとして頂けれる時、初めて、神様を信ずることが出来ます。神を信ずる氏子が多いというのは、私は、そういう部類だと思います。そこから、その神様のお心を、いよいよ、分からせて貰うて、ね。神様の、言うならば、神様に安心して頂けれる氏子にお取立て頂こうと言う願い。ね。それは、あの氏子は、もう大丈夫、もう安心と、神様が安心して下さるような、私は、おかげを頂いた時に、ね。神様のご信用が付いて来ると思うのです。ね。
神様を信ずる。または、神様から信じられる、ね。信じ信じられる仲、その、まぁ言うなら、前提としてです、ね。教会の先生の信心を信ずる。ね。また、教会の先生に信じられる信者氏子にお取立て頂かなければなりません。ね。そこから、初めて、いよいよ、神様を、また信じ信じられる信心が成長してくると思うですね。どうぞ。